(全回答数:0 件 / )
私は45歳、妻39歳、子供は中2の男の子が一人、結婚16年目です。
このGW中に妻の浮気が発覚しました。妻の外出中に携帯メールを私が盗み見てしまいました。
帰宅後、妻にメールを見たことを伝えました。
先月アルバイト先の喫茶店に来た客とメールアドレスの交換をしたのが始まりでSEXも1回したといってます。
私との間では、妻が拒んでいた為10年以上もSEXはありません、はじめの頃はこちらからSEXを迫っていましたが、お願いしてまでする気も無くなり、ずっとそのまま来てしまいました。
相手にも妻子があり遊びとして割り切っていたようですが、妻のほうは途中から暴走気味だったようです。
(相手からのメールは異常なまでの性表現がほとんどでしたが、妻からの送信メールには「大好き」などのワードがちょくちょくありました)
相手にも直接会いました、会うことで自分の中でケリを付けやり直そうと思ったからです。
妻は、何年も前から私に対し愛情は無くなっていた、「自分が全面的に悪いので、離婚し出て行く」といいましたが、
私は、「それは身勝手な話、自分が悪いことをしたと思うのならその責任を取って母親としての責任を果たせ」「子供が思春期で受験も近いので今は離婚せずに仮面夫婦を続けよう」と妻に話しました。
私は、今でも妻のことを嫌いではありません。
今回のことは忘れることは出来ませんが、妻が明るさを取り戻し家庭に戻って家事をきちんとしてくれれば、それで充分だと思っています。
自分なりに今回の真因を考えると私にも責任の一端はあるのかもしれないと思っています。
妻にも話しましたが私も海外に出張中などに数回、他の女性とSEXをした事はあります。
振り返ってみると、初めての海外出張から帰ってきてから妻とのSEXが無くなった気がします。
それと私の妻に対する甘さにも原因があった気がします。
結婚してしばらくは二人でアパート住まい共働きでしたが、じきに人間関係を理由に会社を辞めました。
妻の実家からは遠く離れているので、こちらで友達を作れるようにと思い、何処へ出掛けるのも自由に行かせてました。
家を建ててから子供が生まれ、保育園~小学校で母親同士が仲良くなったりで友人・知人も増え社交的になって、それにつれて家の中のことが少しずつおろそかになってきても、私は妻に何も言いませんでした。
外見にも気を使い化粧品代に毎月80,000円以上も掛かっていた時もありました、妻に言わせれば皮膚が弱いので特別な化粧品だそうです。
その時も「お金の事でとやかく言われたくないので働きに出る」と言ってアルバイトに出始めたのです。
高価な矯正下着を買ったり、習い事も通信教育や着付け・陶芸など身になったものは無く、他にもバレー・テニスと色々やってました。
私の収入も不況と共に減ったので、妻も自制して今はテニスだけを続けています。
妻が何をしようと結局は全て許し、喧嘩らしい喧嘩をしたことはないのです。
そんなことが重なり、妻は家庭の中より外で楽しむことを優先するようになってしまい、
挙句の果てに後先を考えず軽率な行動をとってしまったんだと思います。
もし離婚した場合、
息子は連れて行かせません。(甘えん坊で母親べったりですが、妻側の両親にとっては他に孫がいるのですが、私の母にとっては唯一の孫ですので)
また、妻には自立できるだけの能力は無いと思う(特にこの不況下では)ので、この先どうなってしまうか心配でもあります。
妻は実家に帰るつもりも無いようです。
息子にとっても私にとっても、妻が一人暮らしで水商売などに走り堕落していくのは辛いです。
私自身も仕事・子供の世話・家事を一人でこなしていける自信はありません。
もともと女性付合いは得意ではなく、出会いもほとんど無いので新しい伴侶を見つけるのも相当難しいと思っています。
離婚せずに今の生活を維持しようとすれば、私が忘れたふりをしていても妻にとっては針のムシロなのかも知れません。
でもそれに耐えて、仲の良い夫婦を演じていく事で少しずつでも気持ちが通じ合えるようになりたいと思ってます。
妻は私に対する愛情が戻ることは無いと言ってますが、お互いの努力で何とかなると思いたいのです。
文章を作るのは苦手で何を言いたいのか伝わらないかもしれませんが、
良いアドバイス、同様の経験談などありましたら、ご指導お願いします。
ちなみに結婚して長い間子供が出来ず二人とも大学病院で診察を受けたことがあります。
私は先天性の精管欠損:睾丸で出来た精子を送る管が生まれつき無い、妻も卵管がねじれているような病状で、二人の間には子供は出来ないと診断され、その時は一緒に泣きました。
でも4年目に奇跡的に妊娠、子供を授かることが出来ました。
妻が風呂に入りながら私を呼び「妊娠した」と告げたとき、一瞬「本当に俺の子か?」と言ってしまったが「信じていいよ」と妻が笑っていった。
その時が二人にとって幸福の絶頂だった気がします。
| tarung / 40代 | 男性 | 2009年5月 5日 14:57 JST |