職業差別と人格形成は異なります

  • 2010年4月17日(土) 20:28 JST
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不景気だから仕事がないという言葉を聴きますが
本当にないのでしょうか?

私は頻繁に途上国を訪問するのですが
本当に仕事がないという現状をみてきましたので
本当にないというより
自分には向いていない仕事。
やりたくない仕事というように
選ばなければ仕事ってたくさんあるなぁと思っています。

仕事と言われる職種は、本来すべて必要とされるもので
けっして職業差別などしてはいけないと思っています。
このことは前提としながらも、
実際には職業差別というものが存在しているように思っています。

職業差別の例えで言えば、
汚くてやりたくない仕事は典型的なものだと思います。
これは世界的にも差別の対象になりやすく、
特にトイレ掃除をしているということは、
低い仕事に位置づけられていることが多いと思います。

当然のことながら仕事は仕事上の立場であって
そこで働く人の人格や人権は異なると思っています。
しかし、人がやりたくない仕事に就いて働いている人は
どこか劣っている、どこか自分達とは違うといった、
人権までもが低く設定されているかのように感じることがあります。

例えば、公衆トイレなどで
掃除をしてくれる人がいるから綺麗に使うことができるのに
あからさまに
彼らを見下している態度を取る人を見かけることがあります。

掃除をしている人は自分たちより劣っていると決め付けるような
振る舞いにすごく嫌な気持ちになったことがあるのですが、
そういう嫌な態度を受けてしまった、掃除をしている人の中には
自分が何か悪いことをしているような遠慮がちで
負い目を持ちながらビクビクした空気を出している人が存在します。

これは元からの性格なのか、普段は元気なのに
世間が決め付けた職業差別から来る自信の消失なのか
なんともいえないのですが、オドオドしている人がよく見かけます。

海外で見るトイレ掃除の人は、やはり世間的に職業差別はあるけれど
トイレ入場料で暮らしているからなのか、仕事へのありがたみなのか、
その仕事に誇りを持ちイキイキしている光景を見かけます。

日本のほうが職業差別は酷いのかなと思っていたら、
この間、駅のトイレでハッとする光景を見かけました。

駅のトレで掃除のおばちゃんが、とても力強く便器を磨き、
しかも鼻歌まで歌いながら掃除をしていて、
すごく楽しそうに掃除をしていました。

逆に汚すのが悪くなるくらい。

トイレを終えた人は口々に
おばちゃんに対して「ありがとう」といいながら出て行っています。

その、「ありがとう」が聞こえたおばちゃんは
「失礼します。ご迷惑かけています」と元気に言いながら
また掃除を続けていました。

「気持ちよくトイレを使ってもらうことが
私の楽しみなのよ!!」

こんな声が聞こえてきそうなくらい、楽しそうに仕事をしていたのです。
その光景を見て、どんな仕事も一生懸命さが伝われば
人から「ありがとう」を勝ち取るんだなぁと思いました。

人から「ありがとう」といってもらえることで
自分のしている仕事に満足感を覚え、
ますます楽しく仕事をすることができます。

「ありがとう」と言い合える関係には、
上や下といった立場などは存在せず
相手を尊重して感謝する気持ちになることができると思っています。

世間的に差別されやすい職種だからといって、
働く人自体が萎縮してしまうのではなく
どんな仕事でも楽しく取り組むことで、人の見方も変わるのです。

大げさかもしれないけれど、トイレ掃除を楽しくしている姿を見て
子どもが「僕も家に帰ってトイレ掃除したい!!」というかもしれません。

差別される職種はあります。
しかし取り組み次第で生き生きとした
自分らしい存在でいられる事例をお伝えしたくなりました。

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