●なぜ人生に無駄なものは何も無いと 思える様になったのか

●なぜ人生に無駄なものは何も無いと
思える様になったのか



30才で
再建社長になってからは
失敗と挫折に明け暮れていた。

とにかく何一つ上手くいかない。
何一つ結果が出ない。

本気を出せば
そこそこの結果を出せるだろうと
たかを括っていた

驕りの気持ちは
木端微塵に砕け散っていた。

だから
身も心もボロボロになって
再建会社を消滅させた時は
何も得られたものは無かった
と思っていた。

無駄な10年間だった。
損ばかりした10年間だった。

再建社長を引き受けたのは
大きな間違いだった。

無為の10年間で
失った色々なものは
これから幾ら頑張っても
取り返せない。

ふぅ~っと深い溜息をついて
それまでの人生を後悔していた。

◎どう考えても大きな災難だと
思った事が、実は得がたい経験だったと
思えるようになったから

再建会社を消滅させて
新会社を設立して
15年が経った。

神様はなぜ私にだけ
こんな過酷な試練を与えるんだ
と思いたくなるような
再起をした新会社での経営危機。

今度こそは何とか
希望のある人生を歩みたいと
ひたすら努力したのに・・・

しかし何とか
それを乗り越えられたのは
過去の失敗経験を
想いおこして比較した時からだった。

あの時はこうしたから
こういう失敗をした。

あの時は
自分で自分を追い詰めて
堂々巡りをしていた。

幾らでも失敗のデーターはある

失敗の引き出しは
数え切れないほどたくさんある。

正直それで助かった。
今度は心も苦しくならなかった。

成功したわけではない。
逆転満塁ホームランを打てた
わけではない。

しかし失敗した後遺症を
小さくすることが出来た。

これくらいの事なら
幾らでも耐えられると思えた。

あの混迷の
再建社長時代に感じた

奈落の底に
落ちてしまうという恐怖感
は克服できていた。

負債30億の倒産会社の
再建社長になってから25年経って

あの当時無駄だと思ったことが
全て役に立とうとは・・・

私のような
ぐうたら性格の人間にとっては
丁度良い人生経験だったと
いまつくづくと感じている。





倒産して再建して
更にその会社を消滅せた。

その失敗経験で色々な事を
深く考えるようになった。

人の心はなぜ傷つくのか。

なぜ人の心を傷つけるような
行動をしてしまうのか。

いま私の高齢の母は
心の病の真っ只中にある。

もちろん母の心の中を
見通すことなど出来るはずもない。

しかし
見守ることは出来る。

どんな事で火炎地獄から
救いだせるのか祈ることは出来る。

自分が挫折して失敗して
傷ついて傷ついて

何も得られたものは無いと
想っていたことが
いまこのときに
全て役に立っている。

多難な人生だったが
お陰さまで
得がたい経験をさせもらったと
いま感謝している・・・

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