●なぜ失敗して普通に 生きなければならないと思ったのか

●なぜ失敗して普通に
生きなければならないと思ったのか



再建社長になってから
自分でも渾身の力を込めて働いた。

色々な委員会も立ち上げて
多くの社員に参加してもらった。

社内の志気を鼓舞して
奇跡の再建を成し遂げようと
はやっていた。

しかし成果は
サッパリ挙がらなかった。

なぜ自分と同じような気持で
頑張れないんだと
周りを責めるようになった。

社員の言葉に耳を傾けるとか
足りない所は手助けしてあげるとか
そんな事は少しもせずに

「そんな事では再建など出来ない」
などと自分一人で大声で叫んでいた。

会議で社長のプライドを
傷つけられるような質問をされると
とても収まりが付かないほど逆上した。

社員の気持ちは段々と離れていった。

「こんなに俺が頑張っているのに
    なぜそれが分からないんだ」

そして10年目に
再建会社を消滅させたとき

私についてきた社員は
ただの一人もいなかった。

◎自分の苦労ばかりに
気を取られているのに気がついたから

再建社長になった当初は
「大変な仕事を引き受けましたね」
「頑張って下さいね」
周りからそんな言葉をかけられていた。

「いや失うものは何もありませんから」
と自分では言葉をかえしていた。

本音としては
これだけ大変な仕事を
しているのだから

その位のことは言われて
当然だと思っていた。

だから自分が非難されると
それは不当な扱いであると言い張り

他人を非難するときは
鬼の首でも取った様に徹底的に糾弾する。

慢心とはこういう状態だと
見本になるような体たらくだった。

自分の苦労の人生にばかり
気を取られていて

他人の苦労の人生は
まるで見えていなかった。

いや見ようとしなかった。

だから失敗した。

人の上に立つ器量なぞ
少しも無いのがわかった。




いまでは少しは社員の人に
「ありがとう」とか
「ご苦労様」とか
声を掛けられる様になってきた。

まぁこれだけ数多くの失敗経験を
繰り返してきたのだから

いくらか学習の結果は
出てきたのかもしれない。

しかしまだ他人の評価に
一喜一憂している。

自分の心の欠陥を直すというのは
中々難しい。

普通に生きるというのは
中々難しい。

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