自然界よりもたらせる祐気を授かることによって開運を果たす教示が「気学」であります。
「困った時の神頼み」と言いますが、物事の願望成就や成功結実には運(生成の気)だけでは成立と永続は果たせません。普段からの鈍(どん)(謙虚な心)に当る努力と根(育成の気)に当る要因があって成立します。
「運とは?」「鈍とは?」「根とは?」については後日改めて発表いたします。
運気が盛運期に入れば自分を取り巻く要素が活発に動き出します。しかし盛運期に入ったからと言って良い因果のみが動き出すだけでなく、悪い因果も動き出す訳です。ここに普段からの鈍の部分と根の部分の重要性があります。
盛運期に入っても鈍の努力を怠れば又根の部分の要因があれば、成就・発展を逃がすこともあり、普段からの「祐気とり」実践努力や普段の心掛けが盛運期に入って大きな差になります。
成功の姿は人によってみな異なってきます。ある人は大臣や社長になることが成功で、またある人は商売人になることが成功かも知れません。すなわち社会的な地位や名誉や財産は成功の基準とはなってこないのです。自分に与えられた天分に沿うか沿わないか、これが成功の基準となって来るのです。
人間はこの天分に生きることによって、はじめて真の幸福というものを味わうことが出来るのです。今までは社会的な地位や名誉や財産を得ることが、唯一の成功であると考えられて来ました。これさえ得れば良いというので、非常に無理な努力をして、自分の天分と言いますか天性というものを損なう場合が非常に多かったと思います。つまり今までの成功観には幸福と言う事が無視されていたと思います。財を得、地位や名誉を得てもそれは必ずしも幸福とは程遠い事も生じます。孤独感・人間関係が旨くいかない等の事も起こります。
結局人間にとっての幸福とは成功がもたらす社会的有功さと言った利点からは得ることが出来ず自分の内心の満足度でしか得られないと言った状況へ現代社会は発展し成功・成就が必ず幸福に結びつかないことがはっきりとして来ました。
日本のみならず、世界中が21世紀に入り大きな変革期にあります。戦後の日本社会は工業立国として農業立国から転じて来ました。その為工業社会に都合の良い人材育成を成して来ました。人と同じものを持ち、人と同じ条件を満していれば満足であると言う平等主義が国の方針として示され形通りの人間形成が育て上げられて来ました。そこには個々の持って生まれて来た個性や天分と言ったものは無視されて、無個性な均一的な人物教育が大量に行われて来ました。そして人と異なる立場の人への反動が「いじめ」へと発展している一因があります。個性や天分を伸ばす教育よりも均一的平等による偏差値教育の結果が今の日本の教育状況であります。
明治以後日本が選択して来た「学習と応用」主体の教育方針では現代社会時代に対応出来ない国と成り下がる可能性があります。企業経営は創造と工夫と決断が要求されます。そうした人材養育は今の学習・応用の教育では育ちません。個々の持って生まれて来た個性や天分を活かし自分の価値観で幸福を掴み取ってもらいたいものです。
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