●なぜ失敗したのに自分の生き場所に 出会う事が出来たのか

●なぜ失敗したのに自分の生き場所と
 出会う事が出来たのか



父の会社を世襲で引き継いで
タナボタ社長になることは考えていた。

しかし負債30億の再建会社の
社長になろうなどとは

幾ら世間知らずの私でも
全く予想もしていなかった。

その会社を10年後に
跡形も無く消滅させたことも
考えたくない結末だった。

それまでの怠惰な生き方の
懲罰だと考えても

辛すぎて、酷すぎて、惨めで
受け容れがたい事実だった。

そうでもしなければ生きて
いけなかったから

何とかそれを受け容れて
歩き始めた再起の道も
成績ははかばかしくない。

それは道理で
商売がからっきし下手なくせに

事業をやろうということに
そもそも問題がある。

それを知りながら
人に使われる我慢も出来ない
狭い心だから
なおさら結果が出ない。

わかってはいるんだけど
今更違う生き方も出来ない。


◎何か分からない力で生き場所と
 遭遇したから

自分に愛想がつきかけていた
55歳の頃から

人の相談を受けるという仕事を
やることになった。

「こうしたら成功できるよ」
という話は出来ない。

でも幾多の失敗経験から
挫折した時の涙の味はわかる。

心が折れて
何の力も出てこない

でもどうにかしなければという
焦燥感もわかる。

だから悩みを聞くことは出来る。
一緒に悩むことは出来る




人生の終盤でこんな仕事をしようとは
100%考えていなかった。

自分の悩みさえ満足に解決できなくて
七転八倒しているのに

人の悩みの相談にのるなんて
ありえない・・・

失敗社長でのた打ち回っていた頃は
考えられない状態だ。

いま充実した気持ちでいる。
十分に生きているという実感もある。

そして幾らかでも
人の力になれるという仕事は
幸福感がある。

まるで意図していなかった
人生の終盤だが

何かの力で自分の生き場所に
巡り合う事ができた・・・

もっと見る

Clip to Evernote
このエントリーをはてなブックマークに追加

新規会員登録

私が「悩み辞典の使い方教えます。」管理人さんに相談はこちら