Re;婚塾【妻の七不思議】
- 2010年9月29日(水) 13:07 JST
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- 投稿者:
- 村越 真里子
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季節はすっかり秋になり、移ろいやすい空模様。
「女心は秋の空」とはよく言ったものですが、本当は「男心と秋の空」が根源です。
【そもそも・・・・】
秋の空は、空気も澄んでおり、すがすがしい青空が広がります。抜けるような青空を「秋晴れ」といったり、「天高く馬肥ゆる秋」といったりしますが、これは、夏は太平洋高気圧で湿った空気中の水蒸気に光が乱反射して白っぽく見えるのに対し、秋は移動性高気圧の乾いた空気のために澄み渡り、いつもより上空の雲までよく見えるからです。だから、秋の月が美しく見え、お月見にも最適な時季なんですね。
ところが、低気圧と高気圧が日本の上空を交互に通るため、お天気が変わりやすいのもこの時季の特徴で、これを変わりやすい人の心になぞらえ、「男心と秋の空」「女心と秋の空」と言うようになりました
もともとは「男心と秋の空」です。男性の変わりやすい心を例えていますが、主に女性に対する愛情が変わりやすいことをさしています。
このことわざができたのは江戸時代。当時は既婚女性の浮気は命を落とすほどの重罪でしたが、既婚男性の浮気には寛大だったこともあり、移り気なのはもっぱら男性だったのです。また、若い娘に男性を警戒するよう戒めたり、ふられた際の未練を断ち切る慰めにも使われました。
それ以前の和歌でも男心は移ろいやすいものとして扱われ、室町時代の狂言『墨塗』に「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」という有名なセリフがあります。
「女心と秋の空」
では、「女心と秋の空」と言われるようになったのは、いつごろでしょう?
明治時代の尾崎紅葉の小説『三人妻』に「男心と秋の空」がでてきますが、「欧羅巴の諺に女心と冬日和といえり」と続きます。おそらくこれは、イギリスの「A woman‘s mind and winter wind change often」(女心と冬の風)ということわざのことで、強風や弱風に変化しやすい冬の風を女心にたとえたもの。この頃から変化の兆しがみえてきます。
その後、大正デモクラシーで女性の地位が向上すると、恋愛の価値観も変わります。当時、一世を風靡した浅草オペラで、『風の中の 羽のように いつも変わる 女心――』と歌う『女心の歌』※が大ヒット。西洋文化の影響で女性が素直に意思表示できるようになったこともあり、この頃から「女心と秋の空」とも言われるようになりますが、愛情に限らず、喜怒哀楽の感情の起伏が激しいことや物事に対して移り気なことを示しており、男心とは少しニュアンスが違うようです。
実は、広辞苑には、「女心と秋の空」は前版の第4版には掲載もなかったらしい。第5版(1998年11月刊行)から掲載されている。「女心……」の方は現代の新語だということか。
さらに辞書によると、「女心」に変わったのは、『英語のことわざの影響による』とある。前述したイギリスのことわざのことだろう。日本式に考えると変わり易いのはもともと男心で、西洋文化の影響を受けて女心の方が変わり易く(いや、変わり易いと言われるように)なった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・etc引用
色んな所から,乱暴に記事を抜粋しましたので各説に統一性がないかもしれないことは、先ず謝っておきます。
ま、しかし、色々変わりやすいのは古今東西「男ごころ」が先だという部分だけ、ご理解頂き、お話を進めましょう。
でも、今の現代、男性が・・・とか女性が・・・と、どちらかに責を負わせる考え方は、もう時代に則しません。もう特に性別で拘ることもないかと思いますが、やはり特徴とか、傾向とかはあるのだと思います。
そこで、今日のテーマは「妻の七不思議」
これは先月のコラム(え~?そんなに長い間、書いてなかったんだ!悩み辞典のスタッフさんごめんなさい。)
「夫の七不思議」の反語ですが、男心同様、女心の特徴を書いてみますね。
よく妻の方からの相談で「夫が何を考えているか判りません」との質問が来ます。
25年以上連れ添った夫婦でも、判らないようです。
でも、夫婦の生活の内容を詳しくお聞きすると、私にはご主人の考えがすぐに見えて来るのです。
むしろ、解り易くさえあるくらいなのに、妻は判らないのです。
と、いう事は夫が複雑怪奇なのではなく、妻の考える夫という枠から夫の言動がはみ出しているから
理解を超えているというだけなのです。
では、この妻の理解という「枠」はどれだけのものかと申しますと、意外と「ちっちゃい」のです。
特に女性特有の考え方に
「~こうあるべき」
「~夫たるもの、こうすべきだ」
「父親なら~ネバなら無い」
「家長なら、普通は~こうすべきでしょう」
まず、こういう理想像が女性の頭の中に、固定されています。
その規格外の事が起きると、「判らない」になるのです。
これは夫の心が判らないのではなく、規格外が起きる事が判らないのです。
つまり想定外の出来事は妻の心にはシャットアウトされてしまうようです。
夫ならば、家庭が大切なら、家族に愛情があるなら・・・・・・「~こうすべきだ」という方程式ばかりで
物事を考えるので、例外が起きた時には、パニックになる方もいますが受け入れられないのです。
特に変な例えですが、学生時代に夫と知り合い、あまり他の男性とは大人の付き合いもないまま結婚し、
ご主人一本で来られた専業主婦の女性や、生れも育ちも箱入り娘で育てられ、世の中の垢を知らずに
純粋培養されたような妻は、ご主人の変貌についていけないのです。
ご主人も若い頃は純粋な男性だったかもしれません。
「何も知らないの・・・」という妻には懇切丁寧に教えてくれたようなご主人でも、結婚して
長い間、企業戦士として働き時には白い物を黒と言わないと、生き残れなかったこともあるのです。
自分の中の正義感を曲げ、片目をつむり乗り越えなければならない時代も会社ではあるのです。
綺麗事では生きていけない・・・・これを社会で男性たちは経験するのです。
いつまでも青春時代のピュアな心ばかりでは、乗り越えられない山があります。
でも家庭の中で、その外的からご主人に守られ、温室のまま暮せてきた妻は外の冷たい風を知りません。
いつまでも夫は、知り合った時のままのピュアな人だと思いたいのです。
しかし実際は、世間には一杯猛者がいます。そこに対抗していくには自分の力を身につけ、猛者にならないといけないのです。
そんな時に男性は自分の中でも、天使と悪魔がいる事を知るのですが、いつまでもエンジェルだけでは
やっていけない時、悪魔が悪魔たるガス抜きをします。
それが女性には判らないでしょうけれど、意外と俗っぽいセックスなのです。
男性は色んな力を誇示したい物で、特に山を乗り越える時には、「男」という猛者を出したがります。
よう動物園でゴリラが胸を叩くしぐさ、あんな物です。
自分の粗ぶる部分は、粗ぶるように受け止めてもらいたいのです。
そんな場合、普通のオーソドックスなセックスでは男性は物足りないのです。
でも、箱入り娘のままの妻は、もちろんそんな粗ぶるセックスなんてごめんです。
当然、夫も妻にはそんな部分は最初から理解してもらえるなんて思っていないから、外の女性で代用するのです。
風俗の女性には、上品に・・・・なんて気を使う必要もありません。
エッチな会話には、風俗嬢は、「キャッキャ」笑いながら、相手をしてくれます。
妻にすれば、風俗に行く夫なんて「妻がありながら?」と理解できません。
ここで誤解をしてもらっては困りますが、私は風俗容認論は言っていません。
しかしご主人が、そうした女性に何を求め、妻には何を諦めているのかを知って欲しいだけなのです。
もちろん、こんな男性ばかりでもなく、まったく男性も品行方正な方もいます。
だからすべてに当てはめる気はありませんが、妻の立ちの女性には、夫が何故、外に目が行くのか、
何故、結婚して家庭でセックスをすればいいのに、妻以外の女性と、そういう遊びをするのかという
構造を判って欲しいという事です。
妻は、家庭平和もセックスも、普通が良いと思っていても、男性という者は、刺激が大事な時もあるのです。
時にはエロティックな会話もしたいし、ひらひらした薄い下着の女性も見てみたいのです。
それは妻が居ても・・・・・です。
それなのに、妻はエッチな会話なんて、言語道断でDVDすらにも嫌悪感を示し・・・・・
これではご主人は自分の本音の部分を家庭では出せなくなります。
妻は、私は夫を受け入れていますし、セックスも拒んでいません。
「ウェルカムなのに、何故主人は外の女性と・・・・」と嘆く妻は多くいますが、
男性は、男心と秋の空、です。すぐに飽きるのです。
特に交際中はあれだけ、挑んできたセックスを、結婚以来、一度もない・・・という夫婦はたくさんいます。
これは妻を嫌いになったり、女性が出来たり・・・・という事ではない場合があります。
結婚して、いつでも妻とセックスが出来ると思うと、刺激がなくなるのです。
つまり、「普通の事では飽きる」という事なのです。
では、アブノーマルなセックス?
そういう意味ではないのです。
夫の飽きてきたという気持ちに気付かないという妻の事に、失望しているのかもしれません。
新婚時代にセックスレスが始まっている夫婦は、こういう可能性があります。
でも、恥ずかしくって妻からはこういう会話は出来ませんよね。
しかし、これじゃいけないという危険意識があれば、ベットの中で聞けばいいのです。
素面じゃ聞けないなら、時にはお酒の酔いに任せて聞けばいいのです。
こうした努力をして、尚且つ、解決しなかった場合はそれこそ、私の所に御相談頂きたいのですが、
逆にこうした歩み寄りを妻の方からしているにも関わらず、夫が拒否したり、「女の癖にいやらしい」というような事を言う夫では、問題はほかにあります。
大事な事は、男性は変ります。
そしてすぐに飽きます。
布団に横たわり受け身な妻に、いつまでも清純は求めないでしょう。
夫が変わると共に、妻も変わらなくてはいけません。
男性は驚くスピードで変ります。
特にセックスには、お勤めのように従うだけの妻には、面白みを感じません。
そうです、男性にとっては「面白味」が大事なのです。
毎日プレーンでは飽きますね。
あ、いかんいかん、なにやら話が反れましたが、テーマは妻の七不思議でしたね。
前置きが長くなり、ちょっと疲れも出てきましたので、早回しにします。
「こんな人じゃなかった」
「もっと優しかったのに」
こうした言葉を妻からよく聞きますが、そうなんです。
人は変わるというのは前置きに書きましたが、もっと優しくても男性はいつまでも同じでは居てくれないのです。
それなのに妻の考え方は、過去の夫像を頭にインプットしていますし、オーソドックな定義しか
受け付けないので、イレギュラーな事態には対応できないようになっているのが妻なのです。
だから目の前に起きている現実が受け入れられないのです、
何故なら、それは妻の想定外だからです。
妻が言う「判らない」「理解できない」は、結局妻の頭の想定外というだけで、本当は判っていても
「許しがたい」という事で、受け入れられないのです。
だから、男性からしたら、何故判らないのだろうと、頭を傾げるかもしれませんが、女性は
勝手に想定外の事をされたら、それは「約束が違う」という考えに陥ります。
夫の行動で認めざることが起きた場合「約束を破られた」という感情すら持ちます。
夫にすれば約束をした覚えはないし、約束を破った意識もありません。
要は男性は自分流に、流動的に生きているから、これも自分、変わるのも自分という感じです。
でも女性の考え方の中に「変わる」という事は「自分勝手」という方程式が有ります。
だから夫が変わる事さえも、妻に「変りますよ~」と許可とかお知らせをして変らないと
妻にすれば、「考えられない」となるのです。
そして女性は「話し合い」が大好きです。
男性が変わり行く気持ちがあるなら、それも話し合いで説明して欲しいのです。
しかし男性は「変わって当たり前」くらいの考えですから、自分の気持ちの遍歴を説明なんて
出来るはずもないですし、また許してもらえる事ではないと無意識に思っています。
そして妻の特徴としては「何でも話して」と言っても本当は理解されないという経験を夫にはありますから
話し合いなんて、何の効果もないと諦めているわけです。
だから妻にとっては「話し合い」でも夫にとっては「釣るし上げ」にしかならないのです。
ここで私は女性の味方では有りますが、同じ女性だからこそ、わかる事があるのであえて苦言を呈します。
女性は「話し合い好き」ではありますが 「話し合い下手」です。
特に妻が言う「話し合い」話合いではありません。
ここのところようく判って下さい。
「ちょっと話があるから、座って」・・・・なんていうのは、もうその段階で夫にはどきどきですから
脛に傷持つ夫とすれば、そこで身構えてしまいます。
そしてそもそも、そんな話し合いをする時点で妻は、夫に対して不満が満載ですから、
「何故、○○してくれないのっ!?」という文句です。
そうしたら夫にすれば自分の痛い所を突かれているわけですから、もう一歩も引けない気持ちになるのです。
これが妻の言う「話し合い」です。
ね、これでは夫が心を開いてテーブルに着くはずがない。
以前も書きましたコラムで「夫婦は話し合ってはいけません」と書きました。
これは少し夫が浮気をしている場合の想定ですから、意味は違うのですが、
結局、男性は話し合いは苦手です。この場合でも、突かれたくないから逆ギレするのであって
話し合いで解決なんて望んでないというのが、男性の基本姿勢だとお気づき下さい。
女性も変わりましょう。
20歳やそこらの時は、男性に労わってもらってセックスしたでしょう。
でも男性の不満は「妻からは求めてこないのです」というのもあります。
妻にすれば「え~~?私から」と思うかもしれませんが、夫は妻がセックスにも貪欲になって貰いたいのです。
それなのに、いつまでも「お嬢様」ではご主人も「王子様」を演じ続けるのは疲れます。
時には対等な立場に立って、夜の事も考える。
これが本当に相手を理解するという事で、「話し合い」なんかで理解出来る事はほんの僅かです。
妻の考え方の特徴は
「私だったら~こうする」
「私だったらこんな事するなんて考えられない」
「私なら、妻の嫌がることはしないのに」
こんな風に考えるのですが、「私だったら」という枠から出られないから
「私以外の考え方」が受け入れられないのです。
大事な事は 「男と女は違う」という事です。
「私と夫とは違う」のです。
こんなはずじゃなかったというのは 私は変わらないという前提ですが、人は変わるのです。
特に男性は変わりやすいし、飽き易いのです。
もしかしたら「男心と飽きの空」くらいに思ったほうがいいですね。
では今日はここまで。