【Re婚塾】「人生の仕分け作業」
- 2011年2月 6日(日) 11:47 JST
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- 投稿者:
- 村越 真里子
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破壊的な解決策ではなく、建設的な方法を。 先日、「人生の仕分け作業」という題材で相談者へ向け、回答をしました。
それについて、もう少し掘り下げてみようと思います。
実は私ごとになりますが、私は元夫と30年近い結婚生活を過ごし、結果的に離婚と言う道を選びました。
それだけ長く暮らし、結局判った事は 元夫と私は「違う」と言う事が判った30年でした。
もちろん夫婦とは言え、すべてが一致する必要はありませんが、やはり価値観の部分は
近いものでありたい。
そう望むのが当たり前ですが、根底の部分があまりにも違う。
最初は判らなくても長く一緒に暮らせば暮らすほどお互いの違いが大きく開いて来るものです。
それは電車のレールと一緒で、本来平行であるはずが 最初レールを敷くときに、ほんの数ミリ違ったら、ずーと長く敷くうちに、大きく離れて行きます。
夫婦も同じです。
最初結婚する時は、誰しも「大好き!」って思いながら生活を始めますが、少々の考えの違いは結婚生活の中で、すり合わせて行けると、さして気にもしませんが、それは
すり合わせの出来ることと、出来ない事とがあると思うのです。
相手に迷惑をかけない程度のわがままや持論は誰しもある事です。
しかし、相手に対し、180度考えを変えて欲しいと強要したり、全く相手の気持ちを受け入れないような事では それは持論というより裸の王様です。
本来は一緒に暮らすうちに相違点があると、それをお互いが認め合い、譲り合う、それは
大事な事です。
しかし、どうしても譲れない部分がある時は、お互いが譲れないと言う事を認め合うべきだと考えます。
何も、相手と自分が違うから、相手をねじ伏せる必要はないのです。
でも大事な事は「違う」と言う事を認め合うべきなのです。
その、認め合う事が出来なければ、それは離婚しかありません。
人生は長い。
そしてたった一度しかないのです。
本当に、この人と一緒にやっていけるかと自問自答して、それでも無理と思うなら
人生の仕切り直しをしてみようと言うのが今回の提案です。
結婚をし、子供を育て、その子供が巣立った後に本当の夫婦の人生が待っています。
それは、夫は長い間仕事をし、残りの人生を何にも縛られず、自由に暮らしたいと思うかもしれません。
また妻は、自分の趣味を生かし、家事から解放され、これまた自由に人生を謳歌したいかもしれません。
それが何も同じである必要もありません。
ただお互いが自由に暮らし、そしてふとしたときに近づき、またそれぞれの自由に向かって巣立つ。
こうすることは、やはり相手に対して依存する気持ちを捨て、自立が必要です。
特に夫側に言える事は、定年退職をした後は、自分のお昼ご飯くらいは簡単にチャッチャッと作れる事も必要です。
出来れば洗濯や掃除機くらいは掛けて、自分の快適空間は自分で確保される事は必要です。
そして妻なる人は、どこに行くにも夫の車に乗せていってもらった人は、パソコンで
乗換検索くらいはできるようになり、夫をあてにしない事。
何でもかんでも「お父さん、お父さん」と頼りを通り越し、甘えていた部分を自覚することが大切です。
私の知人で長い間サラリーマンをしていて、単身赴任で関東と関西に離れて暮らしていました。その夫が近く定年退職をし、夫のこれまでの仕事経験を活かし、海外で会社を設立するそうです。
それはある種、ご主人にとってはチャレンジですから、落ち着けば妻を呼び寄せるつもりかもしれませんが、お互い、それはそんなに重要な問題ではないそうです。
一緒に二人が暮らす・・・・それはむしろ若い時には大事な事ですが、ある程度の年数に入った夫婦は、お互いが好きなように、外で新たな自分を見つけ、またその情報を自宅へ持ち寄り、そしてまた新たな空気を家庭に運ぶ、こんな風に行けば理想的ですね。
ただ、これは理想論でそういう事が出来なかった私は「あまりにも夫と私は違う」と感じた事で離婚をしたわけですから、そうは上手く行かないと言えます。
さ、それで話は元に戻りますが、人生の仕分けとは・・・・・・
少し前に民主党の蓮舫さんのした「仕分け」という言葉で有名になりましたが、仕分けは無駄な物は切り捨て、大事な物と、そうでない物を分けて行くと作業です。
これは人生にも必要な事ではないかと思うのです。
人は長い人生の中で、培われて行くことと、習慣として身について行く事。
そして本来は持ち合わせていなかった部分が、何かの体験で変わってしまう事。
こうした事が人の人格を形成して行きます。
これは想定内の事もあれば、予想出来なかった事もあります。
特に変わってしまった…という点については、「騙された」「話が違う」的に思うものですが、色々な人生体験の中で、「変わらざるを得なかった」と言う事もありますし、潜んでいた素地が浮かび上がってきたという人格もあります。
これは本人すら自覚がない事もあるので、こうした変化には慌てず、じっと観察することが必要です。
そして、ようく考えた結果、破壊的に考えるのではなく、どうすればこの変化を受け留めることができるかを考えます。
お互いの人生観の違いをとにかく受け止めてみます。
その中で、受け入れられるか、または、その逆か。仕分けをする必要があるのです。
そしてどうしても受け入れられない事は、はっきり相手に言う事です。
そこで生活面に不自由のあるような事なら、二人の生活空間を分ければいいのです。
何もかも夫婦だから一緒である必要はないのです。
しかし、私はふと思う事があります。
今から4年前の2007年。
時は年金分割のニュースに沸き踊り、皆がそれぞれ自分の年金を受け取れると喜んだものでした。
そして我が職業の夫婦問題へマスコミからのインタビューも多く舞い込んだ事を覚えています。
しかし、年金の大もとになる社会保険庁のミスにより、「じゃ、いったい年金っていくら受け取れる?」という事すらあやふやになってしまい、熟年離婚の問題も頓挫してしまいました。
そこで本当の問題は何だったかと考えると、時の総理の安部元総理の言葉が私は印象的でした。
「年金は本来自分が掛けて自分が貰うものです、こうして自分が手にすることが出来ると言う事で老後の暮らしは自分で設計できるのです。つまり人生の再生です」と、仰っていました。
それ以前までは、サラリーマンの家庭ではその妻である専業主婦は、第3号被保険者として、妻の年金は夫の口座に合計して振り込まれていました。
だから夫が定年になっても妻が夫に養われていると構図が変わらなかったのです。
そんな中、夫が定年になった途端妻が夫のの退職金の半分を貰い離婚をするというケースが、とても多かったのですが、この年金分割によって妻が夫に養われているということではなく、自分の年金は自分が受け取れます。
これは私流に解釈すると、自分が妻や夫と違うと感じた時に、何かを犠牲にして、夫に添うのではなく、自分の人生を自分で歩むことが出来ると言う事を指します。
それならば、極端な離婚と言う事ではなくても、余程の場合は妻は、一人で暮らす事も叶うのです。
離婚という籍を抜くというのも、ある程度の年齢になれば、メリットを感じない場合は
別々に夫婦が暮らしてもいいのです。
ただ、政府は離婚は勧められませんし、別居という道もあるんだよ、と言うのも表立って言う事は難しいと思います。
もちろん、政府としては 年金に対して国民の納付率が減少しているのは、国民の将来受け取れるのだろうかという不安がそれに拍車をかけているのは事実ですが、将来は個々に年金がが受け取れます、というのが、年金を納めようという、勧めにもなるのです。
安部元総理の「再生論」と言うのが、勝手な解釈ですが私には「別居の勧め」として、自分でパートナーに縛られない生活をしようと言う風な「人生の再生」に聞こえてなりませんでした。
そういう事で将来、年金を受け取る云々と言うのは、程遠い話であっても、それまで待てないと考え離婚をするより、少し踏みとどまって、自分の人生の選択肢として、
「我慢して一緒に暮らす」と、「離婚」との間に「別居」という選択肢もあるとお気づき下さい。どうしても合わないパートナーと必ずしも顔を突き合わせて生活するだけが能ではありません。別居という方法もある、と言う事をお考え下さい。