【Re婚塾】「話し合う為に戦うのだ」
- 2011年2月12日(土) 11:09 JST
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- 投稿者:
- 村越 真里子
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「話し合う為に戦うって?」ちょっとピンとこないかもしれません。
パートナーと向き合いたいと言う事なのに、またその目的は、夫婦間を円満にしたいのに何故「戦う」なのか。
今日は3連休のなか日、週明けにはバレンタインデーが待っています。
テレビのニュースはデパートのチョコレート売り場を中継し、最近は「友チョコ」といって必ずしも男性に、ではなく女性の友達同士でチョコを交換するそうです。
・・・・にも関わらず、今回のテーマの勇ましい事。
世間はバレンタインデーを前にはしゃいでいて、それはカップルだけの事ではなく、私も結婚生活が上手く行っている時は元夫にもバレンタインチョコを渡して日ごろは照れくさくってちょっと言えないの感謝の気持ちを伝えていました。夫婦のバレンタインってそういう感じじゃないかな。
でも、この「悩み辞典」のサイトに訪れて下さった方は、何らかの不安材料を抱えてらっしゃる・・・そう考えて、あえて今日のテーマに「話し合う為に戦うのだ」と、しました。
「話し合う為に戦うって?」ちょっとピンとこないかもしれません。
パートナーと向き合いたいと言う事なのに、またその目的は、夫婦間を円満にしたいのに何故「戦う」なのか。
これは私に寄せられる相談の中で一番ネックになる部分なのです。
誰もが「話し合い」と言う事のイメージは「平和的解決」です。
どうしても人は平和に友好的に問題を解決したいと望みます。
しかし、振り返ってみれば、問題が起きた時に、夫が(妻が)誠意をもってこちら側からの訴えに耳を傾けてくれなかったという事があったはずです。
つまり、話し合いが出来なかったというより、いかに避けられていたかを思い出して欲しいのです。
夫婦の問題にも、色々な分野がありますが、私の所に寄せられる問題のほとんどが夫婦間の浮気です。
まったく驚くほど、浮気が蔓延しているのです。
正直申し上げて、「どいつもこいつも色ボケ」状態です。
そして、その結果起きて来る現象は、浮気をやりぬくにはパートナーにばれる事を一番嫌がりますし邪魔されることを最も嫌います。
そうなってくると、夫や妻を避けるしかないのです。
そこで、余計に「話し合い」を望むのが当然の希望になってくるのですが、相手にすれば
「話し合い」をすれば自分が責められる事は明白で、悪く行けば浮気を止めないといけないと思うと、そんな話し合いなんてしたくないのです。
だから、何でも「話し合い」で解決が出来ると言う考えが「幻想」なのだという事を認識してほしいのです。
私が相談者にいつもこんな質問をします。
村越「どういう話をするのですか?」と。
それに対して答えは
相談者「夫が(妻が」これまでの至らなかった部分を自分が改めるから…お願い浮気を止めて」とか
相談者「家族はみんなパパが(ママが)好きだし、必要だから」
とかです。
そこで私は再度お尋ねします。
村越「それで伝わると思いますか?」
相談者「誠意を持って訴えると伝わると思います」
そうです、ここで結論が出ているのです。
訴えると言う、その時点で話し合いではなく、願いの訴えとは、もうそれは懇願なのです。
浮気をした張本人は、家族が自分を求めている事なんて百も承知です。
そこの気持ちに添えないのが浮気であり不貞です。
しかしそれを簡単に止められないのが、浮気です。
そして、家族の気持ちに対して不誠実だから、そこには浮気があるのです。
誠意的でない人に誠意を持って話し合えば解決するのか、と言う事です。
浮気をしている人は、家族がいくら自分を求めていても、家の外にはもっと自分が求める世界があり、自分を求めてくれる人もいるのです。
この点を、「誠意を持って話し合えば・・・・」と言う事が幻想であるという所以です。
こうして言えば「じゃ、八方ふさがりじゃないか、諦めろと言うの?いったいどうしろというの?」と。絶望的な気持ちになられるかもしれません。
ここで「話し合いがベスト」という考えを捨てて欲しいと言わざるを得ません。
自分で話し合いがしたいし、それが一番と思いたい気持ちはよく分りますが、それは問題がもっと初期の段階でやるべき事で、パートナーが裏切っていて、すでにその浮気が安定期に入っている段階では「話し合い」は何の役にも立たない事を理解してほしいのです。
まず、その意識改革をしてから、次の策を練らねばいけません。
自分の考えは、未経験の中で、経験則のない中での方法が「話し合い」だったとしたら、それは正しいと胸を張って言えますか?
あなたが相談した御両親や親友、又は知人などは、離婚経験者ですか?
またパートナーの浮気に苦しんだ事があり、それを自力で解決出来た人達ですか?
私は世の中、離婚の達人などはいないと思います。
せいぜいバツイチくらいが精いっぱいで、離婚に慣れた人なんていないし、バツがいっぱいある人でも、それぞれケースは違ったはずです。
そういう事で、人の経験論と言っても、一度か二度の体験論です。
そこにはかなり個人的パーソナルな事情が取り巻き、それがあなたへの回答になりますか?と、問いたい。
人は自分の体験でいう経験則以上の答えはありません。
ですが、親も親友も、それは善意の人たちですから、出来るだけ夫婦として長く続いてほしいと望むことには違いがありませんし破壊は好みません。
そうなると、友好的なアドバイスとして、「しばらく様子をみれば」「二人でよく話し合って」と言う事が精いっぱいの答えになるのです。
だから、そういう意味で近しい人の意見は、思いやりではありますが、本当の解決になる根拠は何もないと考えるべきかもしれません。
さあ、そこで、話し合う為に戦うって良く分らないと思うのですが、まずは私は全く夫婦に話し合いが必要じゃないとは申しません。
話し合いはするべき時が来れば、というより、話し合いをする為に、それを拒否する夫や妻とは、話し合いという土俵に上らせる為に、「お願い」というようなスタイルではそこへ誘えないのです。
今、世間を賑わせている、相撲に例えましたが、浮気をしている夫や妻は話し合いなんてしたくないのです。なぜならその本人は自分の浮気を妨害する夫や妻は、敵なのです。
だから、その敵に、「お願いスタイル」で話し合いをするのはその時点で勝負あり!です。
そういう事で、話し合いの土俵に乗せるには、懇願ではいけません。
しかし、夫や妻が土俵に乗らざるを得ないように持って行くには、とても嫌な事ですがやはり相手が窮する事が必要です。
それが個人の性格や背景によって、様々な要素がありますので、一概に「これ」と言う事は、ここでは表現できませんが、とにかく、嫌われたくないばかりに、「何も言えない」という人が話し合いを要求するのは、おかしいと思いませんか?
だから、「話し合う為に戦うのだ」という戦いとは、自分との戦いなのかもしれません。
夫や妻を話し合いという土俵に上らせる為には、まず自分を変えなければなりません。
でも、中には話し合いをすれば、いつも喧嘩になるか、相手が逆切れして終わり・・・と言う風な方もいます。
そういう方は、話し合いとは「交渉術」なのです。
これは「戦い」の終わったあと、本当の話し合いをする時にも必要なことですので、
その交渉術をお教えするのが 私の仕事なのですが(すいません、ちょっと宣伝モードですが)話し合いが皆さんはとても下手です。
自分の希望を述べるだけでは、相手が舐めて来るので、対等には行きません。
やはり話し合いと言うからには フェアーでないといけないのに、誰しも自分の立場を脅かされると思うと、身構えます。
そうなると挑んでくる相手に、攻撃的になります。
↓
そして逆切れして話し合いを、「止めた」とばかりに終了します。
だから普段から気の強い妻などは、特に注意してもらいたいのですが、最初から喧嘩腰です。
もう話し合う前から、鼻の穴がおっぴろげてしまって、負けまいと必死です。
この時点で、もう話し合いじゃない事は明白です。
多分男性が一番嫌いな妻の言葉は「あなた、ちょっと話があるの」です。
こうして考えて行くと、妻が考えるほど、話し合いと言う物が、効果的でないと言う事はご理解頂けると思いますが、だからこそ、せっかく話し合いが出来る時が来たら、それはとてもデリケートに扱わなければなりません。
何でもかんでも、思いの丈をぶつけりゃいいと言う訳ではないのです。
時には本心をぐっと隠して、相手の気持ちを聞かなければなりませんし、腹が立っても
我慢をするという演技すら必要なのです。
人はよく本音で話し合おうと、言いますが正直、本音なんて最後にしか出してはいけません。
本音を引き出す為に、こちらは多少の演技が必要になる事もあるのです。
こうした事を話し合う前に、自分が自分の気持ちをコントロールすることが必要です。
これはある意味、自分との闘いです。
そうです、戦いとはこの事で、話し合う前に自分との闘いがあるのです。
また、土俵に上らないパートナーを話し合いという土俵に上らせる為に、戦術を練って
まずは話し合いの座に着かせないといけないのです。
その為には、優しい気持ちだけでは、成功しないのです。
多少の、罰則というペナルティーも必要です。
その罰則とは相手の痛いところも突かないといけないという,嫌~な作業です。
話し合いに応じなければ
何らかのペナルティーを負わせる事で相手が初めて本気になるのですが、どこまで行っても話し合いしかないと言うのでは、何も怖いものがないと言う事になります。
お仕置きは必要です。
それなのに、話し合いだけで行こうとすると
「言う事を聞かなければ、話し合いをするぞ!」という何ともしまりの無い話になります。
こんなことは誰も怖がりません。
これが 話し合いの前の「戦い」なのです。
だから、話し合う為に、というより、話し合う前に闘いがある。
今日はこの事をお勉強して頂きました。
これが私の開催する「Re婚塾」です。
今年は、実際この「Re婚塾」を各地で開催して行きます。
また皆様にお会いできるように、告知して行きますね。
ではでは・・・・セントバレンタイン♡