被災した方々と接する時に、大切な事

村上 裕 3月11日に東北関東大震災が発生してから、一ヶ月以上が経過しました。
ようやく、被災地で生活しておられる方々の状況も知ることができ始め、中には連絡をとりあったり、実際に会いに行かれた方もおられると思います。

無事なご様子に安堵した方、凄まじい光景に強いショックを受けた方、あまりにも変わりすぎてしまった日常に呆然とした方、被災地におられる方々だけでなく、被災地におられない方々の中にも、様々な心のありかたが起こってくる時期です。

また、原発に関しては今もなお、不安な日々を過ごしす方もおられると思います。


この一ヶ月を過ごし、様々な状況で日々を過ごす方々の、環境や心境に変化があったことと思います。

そこで、状況が少しづつ分かり始めた今後の被災者の方々に、言ってはいけない言葉があります。

それは 「 比べる言葉 」。
そして 「 頑張れという言葉 」。

例えば、

「Aさんはご家族が亡くなったけど、あなたは無事で良かったね」
「Bさんはお仕事先がなくなってしまったそうだけど、あなたはそうでなくて良かったね」
「Cんはもっと大変なのだから、あなたは頑張らなきゃ」

等、他にもたくさんの比べる言葉、頑張れの言葉があるでしょう。

どうしてこれらの言葉を、いま使ってはいけないのか。

「 他人より恵まれた状態で生き延びた自分 」 という意識は、時に、生き延びたことへの罪悪感を生みます。
破滅的な状況の中、生きてくださった事は素晴らしいことです。
なのに、生き延びたことを後悔する。
それは、あまりにも酷いこととです。

そして、過酷な状況で生き延び、生活している現在、すでに被災者の方々は充分すぎるほどに、頑張っておられます。
すでに全力で頑張っている方々に、さらに 「 頑張れ 」 「 頑張れ 」 と投げかけることは、言葉が生む暴力です。


もちろん 「 頑張って欲しい 」 という気持ちは、応援したい気持ち、無事を祈る気持ち、安全でいて欲しい気持ち、生きていて欲しい気持ち、そんな暖かい気持ちから発せられるものです。
決して傷つけたいわけでないのは、安全な場所にいる方でしたら理解できるでしょう。

だから、被災者の方々に応援する気持ちを伝えたいときには、

「あなたがこれからも無事に生きられるよう、私達が頑張ります。だから、元気で生きていてください。」

とお伝えすれば良いです。
(※この言葉は、被災地で支援活動をされた、ある看護師の方の文章からお借りしました。転載自由にして下さったこと、この場を借りて、感謝をお伝え致します。本当に、ありがとうございます。)


「 頑張る 」 という気持ちは、被災者の方々ではなく、ライフラインの確保されている私達に向ければいいのです。

けれど、自分自身に対して 「 頑張れ 」 と投げかけた時、その言葉があなたにとって重たければ、どうぞ 「 頑張れ 」 の気持ちを手放してください。
「 頑張れ 」 の言葉が重たければ、あなたは今、もう頑張っているからです。

今は、直接の被災者の方々や、間接的な被災者の私達を、重く追い詰める言葉は要らないのだから。



上記の例えに出した比べる言葉、頑張れの言葉は、今、とても発せられやすい言葉です。
実際、耳にされた方もおられるでしょう。
なぜ、こんなに悲しい気持ちのすれ違いが起こるのでしょうか。

それは、被災者の方々と私達とに “ 心の温度差 ” があるからです。


目の前で人が波に飲まれていく光景。
今まで暮らしていた街や家が倒壊してしまった現状。
これからの未来への不安。
ライフラインが整わない生活。
満足に情報の得られない状況。


これらの事は文章にすればたったの一文ですが、経験された方々にとっては、多くの状況・環境になります。

亡くされた方が、ご家族、ご親戚、お付き合いされておられる方、ご友人、知人の方、人間でなくとも一緒に暮らしていた命、その方にとってどんな存在であったか。
目の前で、家族が亡くなる瞬間を見た方もおられるでしょう。
また、死亡者リストの中に、縁ある方の名前を見つけた方もおられるでしょう。

亡くなった方との関係次第で受ける痛みの大きさが変わるのは、とても自然なことです。
決して、その方のこころが冷たいわけでも、残酷なわけでもありません。
けれど、関わりある命の死というものが故人との関係の深さとは別に、人の心に深く大きな傷を残すことは、やはり当たり前のことです。

そして、暮らしていた家が、住み始めてこれから歴史を刻んでいく場所であったのか、これからも安心を約束する場所であったのか、長く住み思い出がいっぱいの場所だったのか。

被害にあった場所が、新生活を始める場であったのか、日常を大切に過ごされていた馴染みの場所であったのか、静かに余生を送るための終の地であったのか。

電気、ガス、水道、医薬品、食料、生活消耗品、これらのどれが復旧していて、どれが足りていないのか。

今回の東日本大震災の被害状況や、いま生活している場所の支援について、どれだけの情報を得られているか。
そもそも、情報を得ることができる環境かどうか。


これらは、その方、おひとりごとに異なるのです。
決して 「 被災者 」 という言葉で、ひとくくりにできません。


東日本大震災は、1万4000人が亡くなったという一つの出来事ではなく、人が亡くなるという、言葉では現しつくせない痛みが、1万4000回も起こりました。
そして故人と繋がりある多くの方々の心に、今も影響を与え続けています。

そして、生きる基盤となる場所が無くなること、お金を得るために必要な仕事が無くなること、安全に生きることが難しい環境、これらでも同じことです。
比べることなど到底できない痛みが、正確な数字に表せないほど、起こりました。

今回の災害で受けた心の痛みと強さは、その方にしか実感できません。
その方の痛みと傷が他人と比べて大きいか小さいかなど、誰に決めることができるのでしょうか。

だから、比べてはいけないのです。

これから先、被災者の方々と接する時に大切なのは 「 被災者の方それぞれに状況は違う 」 ことを意識すること。
その為に 「 心の状況も、お一人ごとに違う 」 ということ。

そしてこれは、間接的な被災者である私たち同士にも、同じことが起こっています。
直接の被災地にいない私たちの間にも “ 心の温度差 ” は起こっているのです。


どうぞ、 「 被災者という、大勢のなかの一人 」 ではなく 「 被災した、ひとりの個人 」 である事をお心にとどめ置きください。

心の温度差が起こす気持ちのすれ違いが減り、人を生かし合う暖かなコミュニケーションがたくさん起こっていくことを、切に願います。

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