(全回答数:4 件 / )
28歳の無職です。
今まで職務経験と言えるものは、木材加工会社で3ヶ月ほど働いたことくらいです。
最近、ハローワークのキャリアコンサルタント(以後、相談員と表記)なるものに通って就職を目指しているのですが、相談員の方がいうには「できること」「やれること」「やりがいがあること」のそれぞれの条件が重なるところから、仕事を選ぶようアドバイスされたのですが、私にはこの「やりがい」なるものが、よく分かりません。
木材加工会社では、たしかに「やりがい」はありませんでした。
毎日毎日、その日に指示される仕事をこなすだけ。何も考えずの重労働で、酷い腰痛を抱えながら、自分が何をしているのかさえ分からず、ただひたすら働いていました。
建築材料として木材を加工する会社でしたが、自分の携わる製品が何に使われるのかさえも分からず、それでも忙しい職場だったので、私には考える暇さえ無かったほどです。
田舎なのでコネでの入社で、3ヶ月ほどのアルバイトだと聞いていたのが、私の知らないところで話が進んでいて家族から「そこに就職する」と聞かされた時、たまらなくなって吐きました。
その後も情緒不安定になったり、通勤途中で吐いたりと酷くなりましたので、周囲の反対を押し切って辞めました。
その前にコンビニも勧められて勤めたことがあるのですが、こちらも「やりがい」は感じませんでした。仕事自体は単調ながらも、手順を覚えるのに必死で、その時も情緒不安定と身体の震えなどの症状が出て、数日で辞めました。
どちらの仕事にも言えるのは「私が望んで就職したものではない」ということです。
ですが、そんなものは今の事態では珍しい話ではありません。「○○になりたかったけど、なれなくて別の職業に就職した」といのは普通の話です。それでも立派に働いていらっしゃる方々はたくさんいるでしょう。
そこには「やりがい」があるから、その仕事ができるのではないでしょうか?
私には、どうしてもその「やりがい」というものが分かりません。
相談員の方は例として「何かをしていて誉められたら嬉しいでしょ?」という話をしてきましたが、私はそういう状況でも「当然のことをしているだけで、誉められることではない」と思ってしまいます。
今、私は前記の職で「仕事ができなかった」「精神的に体調を崩した」ことがトラウマになっているようで、働かなくてはいけないと思っているのに、相談員の差し出す求人に気が乗りません。次の仕事は身体や心が壊れても、なんとしても勤めなければならないという気持ちが先にたちます。それが喉の奥まで込み上げてくるので、首を縦に振ることができません。
それは本心の部分で「働きたくない」と思っているのかもしれません。
前記の職で私にとって就職とは「自分の意見を殺して働かなくてはならないこと」「何か大切なものを諦めなくてはならないこと」「肉体的にも精神的にも壊れる過酷なもの」として、すりこまれているるようなのです。
そこでお聞きしたいのですが……仕事って、楽しいですか? もちろん、楽しいことばかりじゃないというのは分かっています。
でも、よく「仕事が楽しい」という人や「仕事が楽しい時期」という表現がありますが、そこには少なからず「楽しさ=やりがい」があると思うのです。それをお聞かせ下さい。
勿論「生活のために仕事をしている」という方もおられるでしょう。
私も切迫しております。仕事の「やりがい」を見い出せないまま、働くことにもなるでしょう……その時、あなたを支えているものはなんですか?
お聞かせ下さい。
| ゲストユーザ: 立花 / | | 2009年12月11日 15:39 JST |
こんばんは。ご苦労なさったんですね。
私はまだ学生の身分なのであまり参考にならないかもしれませんが、私なりの意見を書かせていただきます。
楽しい=やりがいでは決してないと思うのです。
医療従事者の仕事を考えていただければわかると思いますが、人の命を扱う場で楽しいなどとは言えません。でも余程合わないわけでなければみなさん仕事を続けます。
資格をとったプライドなどもあるのかもしれませんが使命感のようなもので仕事を続けている方が多いです。
「やりがい」というものは単調な作業であってもうまれるものですよ。
自分のやっている作業が誰かのためになると思ったとき自分の仕事に誇りがもてます。
そして、自分自身にも誇りがもてるのです。
仕事が楽しい時というのは自分の仕事が誰かのためになるとわかって、そんな仕事をしている自分を好きになれた時ではないでしょうか?少なくとも私はそうです。
褒める、褒められないではなく、自分が世のため人のために何ができたかで世界の見え方が変わってきます。
もちろん謙虚な心であることは大切ですが。
働かねばいけないと焦る気持ちはあるでしょう。でも自分の心身に余裕がないときにはなかなか難しいことだと思います。日々の小さな楽しみや癒しを見つけることをお勧めします。
生活のためだけに働く、というのも可能だと思いますが、たとえ望んで得た仕事でなくても何かしらの縁があってその仕事に就くことになるだろうと思います。
貴方がその仕事をすることで必ず誰かのためになっているということを忘れないでください。貴方の笑顔にほっとする方もいるでしょう。貴方の仕事ぶりに助かる方もいるでしょう。
仕事を通していろいろなことを知るでしょう。その中で人間的にも大きく成長できるだろうと思います。だから諦めないでほしいです。
長々とすみません。何かしらの参考になれば幸いです。
| 雪夜 / ~10代 | 女性 | 2009年12月12日 21:29 JST |
雪夜さん、ご意見ありがとうございます。
確かに「楽しい=やりがい」とは限りませんね。それは理解できます。
医療従事者のように国家資格を取った方々は、使命が明確ですし「使命感」で仕事をすることができるのでしょう。
資格がなくとも、そのようにして勤められている方がいるのは分かりました。
少なくとも私の経験した仕事では「誰かのために」なんていうのは無かったですね。
少々乱暴な言い方になるかもしれませんが「○○のため」にと言えるのは「自己満足」の世界なのでしょう。「本当にそれは誰かのためになっているか?」と自分に問いて「なっている」と結論の出せる人間は、自分自身を客観視することのできない人間、自己採点の甘い人間だと思います。
もっといえば「その仕事をしているのは自分でなくてもいい」んです。機械の歯車、道端に落ちている石ころと同じです。ただ単に踏まれ続け、心身ともに酷使して勤め、具合が悪くなったら取り除き、交換される。
少なくとも私の経験した仕事へのイメージとは、そんなものです。
真綿で首を絞められる日々、いっそ一思いに殺してくれと叫びたくなるような感覚、思い出すだけでも吐き気がします。
そんなことを考えなければ良いのですが、想像力だけは無駄にあるものですから、考えてしまいます。
特に私は自分自身というものに自信がありません。履歴書や面接などで自分の良い点を無理矢理引き出しては、後で現実の自分との違いに自己嫌悪します。
思考や感覚を変えたいのですが、どうしてもうまくいきません。
| ゲストユーザ: 立花 / | | 2009年12月13日 12:13 JST |
仕事って、楽しいですか?
楽しいです☆彡
私は美容師をしております。
今から、キレイ事言いますので、聞いてください
少し前なら、仕事の目的は何ですか?っと聞かれたら
ズバリ生活のため、お金のためと答えていました。
仕事自体は楽しかったのですが、
なんとなくやりがいは感じられませんでした。
流れ作業のように感じてくるのです。
なんとなく接客、なんとなく技術
お客さんは喜んでる
それでいいかーっと思っていました。
そんな自分がキライでした。
でも、ある1つの出会いがあってハッキリしました。
私は本当の所、何が欲しいのかを聞かれた時
お金が欲しいわけではない
自分が喜びを感じる時、そこには誰か他の人がいて喜んでいる事が
私の中の絶対条件です。
私が仕事、いや人生に求めるものは
相手が喜ぶ事をみる事によって得られる自己満足です。
自己満足が欲しいが為に、仕事をしている
それが、自分の中のやりがいであり、楽しさであったりします。
そして、自分には、髪を通して喜びを与える事が出来るスキルがある
だから、仕事をする事でやりがいや楽しさを感じる事が出来るのだと思います。
立花 さんは、人生に何を求めますか?
立花 さんは、これから他の人にどんな事が出来る可能性がありますか?
想像してみてください☆彡
今出来なくてもいいんです。
資格が必要なら取ればいいし、
スキルが必要なら覚えればいい
働くとは、誰かに喜んで貰う事、
そして、与えた相手から感謝され愛される事です
どんな仕事でも、誰かの役にたっています。
自己満足でもいいじゃないですか?
仕事は機械の歯車、道端に落ちている石ころと同じでも
立花さん自身の変わりはいないですよ
明るい未来を想像してみてください
誰からも必要とされている立花さんを
まず、想像してください
そこから、逆算すれば
今、自分がナニをすべきか見えてきます。
ちなみに、私は
「今回の人生は面白かった」
で死にたいと思っています。
では、あんまり難しく考えずに
究極、立花 さんが生きているだけで
役に立っている人を想像してください
まず、衣食住に関わる人が立花 さんが
生きているだけで助かりますよね
これはその人達に立花 さんが貢献しているのです。
では、仕事をすると誰に貢献している事になるでしょうか?
| 明正 / 30代 | 男性 | 2009年12月16日 22:53 JST |
国家資格を持っていたからと言って、全員が使命感をもっているとは限りませんがね。
「誰かのため」ということはそんなに特別なことではありませんよ。
たとえば貴方が仕事に就くことだけで喜んでくれる方はいらっしゃると思います。
別に自分じゃなくてもその仕事をできる人はたくさんいるかもしれません。
でも、「誰か」がその仕事をやらなければ世の中はうまく回らないのです。
だからその「誰か」が「自分」であってもいいのではないでしょうか。
機械の歯車や道端の石ころだってそれぞれに個性がありますし、合う場所合わない場所がはっきりしています。
想像力があることは悪いことではありませんよ。
貴方はとても自分にお厳しい方ですね。
でも貴方がすべてを負う必要はないと思います。
無理やりにでも良い点がひきだせるのなら、そこは本当に貴方の良い点なのだと思います。
世界に貴方はたった一人、かけがえのない一人なのですから、そんなに自分を責めなくてもいいのですよ。
自分を赦せるのは自分だけです。
思考や感覚を変えることはなかなかにむずかしいと思います。
どうしても後ろ向きになることはありますし。
それでも貴方は想像力も、自分の正直な気持ちを文章にできる能力もお持ちです。
それはどんな場においても強みになるでしょう。
働くことが苦痛にしか感じられないのならばいっそしばらく考えを遠ざけてみてはいかがでしょうか。生きていくだけなら働かなくても生きていけるように世の中なってますし。
少しでも興味のあることがらや、将来どんな風に生きたいかを想像したときにやりたい仕事が見つかるかもしれませんね。
長々とすみません。
| 雪夜 / ~10代 | 女性 | 2009年12月18日 00:37 JST |