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私は、現在実家のある山形市内で母親のアパートで生活しております。
この山形へ戻って来て、早6年になりました。
それまでは札幌市内で警備関係の会社設立し27年間事業して暮らしてましたが、結婚は昭和49年に放射線被曝し出来ませんでした。
その為昭和50年機動隊を被曝問題を大きくしないために公務災害にしないで依願退職し3年間治療兼ねて喫茶店経営し暮らしてました。
それは母親の懇願からで退職前から母親が札幌へ夫と離婚する覚悟で私と札幌での別居してました。
警察官を退職したのも母親は、元々北海道の帯広で酪農を経営し父親が養子に入った婿取りの資産家でした。
帯広の農地の土地が高騰して来たら、父親の跡継ぎすると次男の父親が山形に長男が跡継ぎしているのを押し退けて神社の神主になつたのでした。
私は、中学から家出して自力で高校卒業し社会人から警察官に引き抜かれてなりました。
私達家族には、母親の初婚の夫との間に、帯広市内に私と離れた姉が一人近くの同じ酪農家へ嫁ぎ居ました。
本当の兄弟は、二つ下の寅年の妹が一人で私が警察官になったら父親の意地悪から私より年上の山形の警察官と見合いさせて結婚させました。
そんな事情の中で、母親が「手持ちの資産を売却し、預金と合わせて札幌にマンションを建てるから、裁判沙汰を辞めて退職し治療に当たれ。」とのことから土地を探し山形へ資産売却に向かったのでした。
ところが母親の土地勝手に父親と妹夫婦が組んで自宅やアパート新築契約し、解約は多額の違約金を取られるから新築後に売却をと無知な母親を騙したのでした。
昭和55年に全て完成する以前から、神社の社務所に住んでた父親や結婚していた妹夫婦が新築アパートや自宅へ入り込み、新築で売却できなくなって母親も札幌のマンション計画を断念したのでした。
それから平成2年の正月まで母親のアパート収入を当てにし
て父親と妹夫婦で母親から無心していたのでした。
その間の全てを母親が10数年間の状況を日記に記載して、実家の屋根裏に隠して私が助け迎えにくるのを待っていたのでした。
その間、妹夫婦や父親が監視し札幌への逃避をさせないで、また私とも逢わせないようにしていたのでした。
その間、私は喫茶店から警備関係へと会社を創設し二社を経営していたので忙しさもあり、両親が元気な間はと札幌で頑張ってました。
両親二人で仲良く旅行していると妹に騙されていたが、全く逢えないので私も将来の未透視の不安から平成3年正月に母親の電話で家族会議開催を要求し、家族全員で討議の末に、両親共に札幌へ移住が決定しました。
ところが、私が帰った後に毎晩母親を父親と妹夫婦が寝せないで交代し母親に講義し山形で生活する言わないと札幌まで負い掛けてやるから覚悟しなとまで脅したのでした。
そして、持病の糖尿病とストレス寝不足から2月17日に倒れたのです。
その倒れた当日、妹夫婦が呼んだ医師が往診に来て深夜まで様子を観ていたのです。
その医師や看護師の前で妹が母親の枕元に黒い手提げに入れて措いてた全ての母親の資産の入った実印預金権利書など無理やり盗ったのでした。
泥棒と叫んだ母親の騒ぎで医師や看護師が取り返して、また母親へ返し帰ったのでした。
しかし、同じ実家の別部屋に寝て居た父親も助けることもなく、その翌朝深夜に妹夫婦が出直して実家に入り込み母親を襲って離さない手などを叩いて母親から資産の入った黒色手提げを強奪したのです。
その後、夫婦で母親を事前に準備していた何処か国道近くの騒音と防音されているアパート個室へ車に母親を無理やり乗せて運び拉致されて入れられていたのでした。
その平成3年秋には、妹夫婦の自宅横に母親に土地を購入に当たって資金不足わ理由に買わせて措いた土地へ、その母親から強奪した預金から金を下ろして監禁用の逃避できない建物を新築し、断食同然の立って歩けない食事しかあたえないで本格的な監禁していたのでした。
その頃から親戚関係者には、札幌の長男は事業に失敗し多額の借金して行方不明と言触らして、一切冠婚葬祭へは私を呼ばないことなどや、事前に私達だけに見舞いの時には連絡して欲しいと騙し、母親にも逢わせていたのでした。
当然、妹夫婦は発覚を恐れて母親に「私達の言うことに合わせて話さないと殺すから。」と脅して少しでも合わさないと叩いたり抓ったり虐待していたのでした。
平成13年の帯広へ連れ回る前に母親を公証人役場へ連れて行き「全財産を娘に渡すと言え。」と脅したが、母親が公証人に対して長男が札幌にいるので一円も娘には渡さない。」と言ったことから自宅横の母親を監禁していた建物で暴行してから罰として一週間断食させて制裁を加えていたのです。
平成18年まで、アパート家賃収入から全ての預金、土地の仮登記までしていたのでした。
このことを私が知ったのは平成13年12月に、母親わ捜して親戚関係を調べて帯広の
姉の地下室に居ることが判ったのでした。
当然、れて私が妹の自宅など調べられることを知って、母親の最後の頼みだった帯広の娘に逢いたいと懇願され、姉夫婦に母親の財産を私から盗られると騙して匿って貰っていたのでした。
何度も札幌から私は帯広の姉宅の地下室に通って、母親から財産を盗られている事実を告白させたのでした。
ところが母親は、姉が妹の仲間だつたので助けも求めなかったし膀胱や監禁虐待さていたことは、一切言っていなかったのでした。
それほど妹夫婦に対して、殺されると恐怖を抱いていたのです。
私は、財産を盗られた事実を知り当時妹の夫が勤務していた警察署署長に事情を伝えて平成13年12月30日に帯広まで呼んで権利書実印のみでしたが変換させました。
金銭関係は、すべて清算してから変換するとの事で、たつたボケた父親わ連れて妹夫婦が一時間居て預かっていたと言い張り帰ったのでした。
年明けて平成14年1月姉と母親と私で近くの温泉へ旅行し、その後私は札幌への移住で私との以前の二人での生活を母親が楽しみにして別れたのでした。
年明けて私は札幌に母親と生活するバリアフリーのマンションを借りて母親を迎えに戻ったのです。
ところが、姉夫婦が逢わせられないし山形で生活すると言っていると言い張り、母親も言い出す始末なのでした。
私もコロコロ母親の話が変わり、まだ元気な間は無理かもと思い「何か妹夫婦にされたら直ぐ、連絡してね。」と帯広駅まで姉と母親の見送りで別れたのでした。
その後、母親は直ぐ妹夫婦に一食もさせられないまま、私に暴露した罰として一週間の断食をさせられ脱水症での脳梗塞で倒れ生死をさ迷って入院していたのでした。
最初の緊急病院も転院させられていた病院でも全て、妹夫婦の許可なく母親との接見ができなくされていました。
また、その間に認知症に少し掛かり始めていた父親に対しても、私の負債を債権者が取りに来るから全ての預金約3500万円に生前譲渡させた後で、遺産も公正証書作成して措くからと、連れ回して平成14年に作成していたのでした。
当然、すべて騙し盗った後は、父親を一度母親と一緒に監禁して弱らせてから老人施設へ入れたのでした。
当然、戻された実印と権利書も、また強奪され母親の現金や預金通帳なども当然全て私物化して使っていたのでした。
私は、変換に警察署長まで仲に入れてのことから実家で夫婦二人で楽しく暮らしていると安心していたのでした。
ところが私に異変が起こり始めました。
平成10年ころから、妹夫婦が水戸市のヤクザ関係者を使い札幌で地形していた私への破綻工作を父親や母親から騙したり、また強奪した金を使い雇っていたのでした。
私は、当時税金対策として犬猫保護施設を民間個人で創設し保護活動しておりました。
平成12年の有珠山噴火被災残留動物保護から、妹夫婦が嗅ぎ付け妨害活動をさせていたのでした。
それも知らないで保護施設へ犬猫惨殺などや、事務所に放火されたり車両パンクそして、苦情攻撃など引越し貧乏へと仕組み、妹が私に「引越しするのに保証人になってやると札幌まで帯広への帰りだから。」と近寄り意図的に保証人へ成りすましたのでした。
それまで一度も苦情などボランティアさんが50人むも来て近隣への迷惑を掛けないようにしていたのに突然、借りて1年も経過した平成13年になってから、家主大家から訴えられたのでした。
この家主も兄弟で親から財産分与してそれぞれの土地の弟の土地へ借家を建てて家賃を得ていたのでした。
それで私を追い出そうとしていたところへ、妹から150万円支払うから留守中に損壊することの相談を持ち掛けられたのでした。
平成14年12月に借家の建物も全ての家具から機材、パソコンのデーターを失い破綻しました。
それも当然、父親から騙し盗った金で150万円で大家に支払いをしていたのでした。
監禁していた間にも両親を必ず夏休みに家族旅行へ連れて親孝行しているように偽装するために、写真撮影目的で食事与えずに連れ回して莫大な経費を掛かったように親戚へ写真を配って工作していたのでした。
同じ時期に私にも次々に、水戸市のヤクザ関係者が札幌まで来て、私が建物損壊の損害賠償裁判を掛けたのに対し、出廷できないように堂々と日中に追い掛け回し専用掲示板まで立ち上げて2チャンネルを使用するなどし、私を殺せなどと書き込み、拉致を謀ったのでした。
その間に、犬猫の保護施設の犬猫を惨殺したり「エサも与えないで寄付金で生活し飲み歩いている。」と日本テレビ局から札幌の問題月間誌で地元でも数千部程度のところへ私の中学時代の写真を妹が提供し騒ぎ立てさせたのでした。
その写真は、私の家出前に唯一撮った写真で誰にも渡していないことから、初めて私は妹夫婦が雇ったことが発覚したのでした。
私も山形へ調査に来て、それらの者へ妹夫婦が頼んでいたことを知ったし、月間誌で嘱託記者として私を叩いていた男が、「私に妹夫婦から多額の金を貰うのにはあっちこっちへ動き廻ってもらわないと金にならないから組みません。」と私に酔って誘って来たので月間誌も妹夫婦の工作と発覚したのです。
当時、平成16年には、私が身体傷害者の札幌市内に住む当時55歳の女性の犬猫の世話をボンティアで他のボランティアさんと交代でしてましたが、それを探偵社まで使った尾行から、妹夫婦の指示で知った水戸市のヤクザ関係の男が狙って彼女に対し私から頼まれたと嘘言い一人暮らしのアパートへ行き、玄関のドワを開けさせて「全ての動向を探って報告しないと殺すからな。俺の女になれ。」と脅し、私の情報を取ろうとしていたのでした。
彼女は、暴行されてから私へ告白し警察へ訴えて、全てが所持していた写真から私に関係が暴露されたのでした。
その後も彼女に対して脅迫が続くことから平成17年10月山形へ私が移住した後に区役所や警察との相談から、警護していた私の住む山形へと薦められて平成18年10月に犬猫も居ることもあって、母親のアパートへ移住したのでした。
平成19年には、母親がアパートや自宅建築の費用を実際は全て出しているのに、父親の企みから一部母親との財産分与以外に金を借りていた分を新築の支払いに意図的に当てて領収書を確保し、父親が他界して一年前寸前に公正証書遺産相続を知らせて平成18年11月妹が実家から私を建物明け渡し裁判に掛け現在、母親との共有資産として所有しているのです。
母親は、平成14年1月私と別れる以前は、痩せてはいたが急な姉宅の地下室の階段も登り下りしていたし元気に歩いていたのに、その後は下半身不随で記憶は確りしていたから、全てを妹夫婦に感づかれないように徐々に、私へ告白してくれたのでした。
それでも全国的な大手個人総合病院の入院先の病院では、担当医師や看護師介護士へ現金を握らせて、母親の足の爪を剥がさせたり業と、足の甲を踏ませたり、また自ら夫婦が交代で見舞いに来て叩いたり抓ったりしていたのでした。
私が眼も見えない意識も無い人と一緒の二人部屋個室から、何とか裁判所へ妹が母親が私へ公証人を病院へ呼んで全ての母親名義の資産を譲渡しようと手続きを取っていることに気付いて、平成18年3月妹自らが母親の資産管理後見人手続きを、担当の内科医師に知った日に認知症の診断書を書かし裁判所へ届け出たのでした。
実印の改印や勝手に母親の住所変更も外出や外泊を一切私には、認めない病院が妹夫婦には、認めているし私の意見から裁判所で選任した地元山形の弁護士も、断食から殺されそうに母親が特別老人施設への移転に際し、私が母親の警護を兼ねて午後8時の面会時間を過ぎて帰った後の、深夜に突然母親に一言も事前に告げずに現在の特別老人施設の個室への搬送をさせていたのでした。
母親は、父親が私に対し平成17年12月2日午後3時40分ころ老人施設の個室で私に「お前、ずっと山形へ来ているのか。」と聴き「二人に全部騙されて預金盗られた。」と言い出したので、私は、「詳しいこと妹に聴いてから明日また見舞いに来るから。」と母親のところへ行き自宅へ帰ってから妹へ電話したら「ボケた人の言うこと信じないで。」との返事で私も追及しなかったのでした。
ところが次の日に、同じ時間帯に父親の個室へ行き聴きだそうとしても「後でゆっくり話すから。」と言い疲れている様子なので追求しなかったが、午前中に妹が来て長く居た事が判ったのでした。
そして私は、父親の施設から母親へ向かい父親の伝言を伝えて自宅へ帰ったら、妹から「今、病院から心肺停止の連絡あったから。」との事で私は、慌てて病院へ駆け込んだら父親の係りの介護士が「今、30分まえまで妹さんが、お兄さんと入れ替わりに来て居たのですよ。」と教えてくれたのでした。
当然、そこの施設の父親担当医師も以前から母親や父親が監禁されていた時からの医師で、さも私の前で既に瞳孔開いている父親に対して胸わ押し蘇生を試みていたが、私がADEも無い施設と怒鳴って始めて指示して探し2時間も色々施していた。
既に、父親の鬱血していた顔面も蒼白へと変色し、体温も私が確認した時には時間が経過していたので私は、司法解剖を医師へ申し出たが拒否された。
死因は、呼吸不全で片付けられ通屋も近隣近くの親戚関係を実家へ数人集めて、事前に準備していたように、全ての人達を5,6キロも離れた西蔵王のホテルへと連れ出して、実家には私と父親の異体だけで過ごしたのでした。
告別式の前に早々と火葬手続きを取って、親戚関係者を実家の私と逢わせないようにマイクロバスで全て送迎して帰したのでした。
その後、すべて弁護士を立て直接話し合いもしないし母親の病院に私が居ないことを確認してから、長々交代で通って母親に対して「爺ちゃんと一緒で喋られないように口塞がれたら死ぬんだよ。」と脅し「私たちがお世話して来たのだからありがたいと思わないの。」などと、正当化していたのでした。
妹夫婦の一連の父親や母親に対してしていた行為を母親が認知症にされる以前から、確りした母親の記憶での告白を私は、数百本の録音をして公証人や人権擁護委員、検察庁、当然当該管轄警察本部、その署へ何度も訴えたが私の狂言として扱われ、逆に嫌がらせ的な警察行為も多いのです。
父親が他界した時の葬儀には、妹の夫警察官から父親が盆栽をしていた松や神社にお供えされる年間何百本もの日本酒を受け取っていることから、多くの現役警察官からの玉串料を戴いて戴いていて、その玉串料も全て、妹が盗み持ち去りました。
私は、この山形に来た6年間妹夫婦の両親や私、また私と係わりあって山形までも恐怖から逃避して母親のアパートで難病と闘いながら暮らしてきた女性ですが、この山形へ移住してからも水戸市のヤクザ関係者の男から留守番電話、Eメール、携帯へと今年の3月30日の自殺するまで、また私には現在も続いていて4日前にも、警察署へその相談へ行きましたが、私の相談を受けた警察官が「私は、パソコンも解らないし裁判所へ直接行ったら。」と相手にされません。
私は、事務所兼自宅にしていたことでパソコンデーターを失い多額の借金返済で3年も苦労しました。
山形へ来ても職も無く「山形で仕事など無いから、さつさと札幌へ帰れ。」と妹夫婦が実家へ出入りして馬鹿にして帰ります。
私も警察官で特殊な厳しい訓練を受け最先端で命を掛けて多くの人を正義感に溢れ救って来ましたが、現役の警察官が妻の義理の両親から財産強奪したり、その義理兄貴をヤクザを使って破綻させるなど人道的に許されるものでありません。
私は、金欲や物欲に欠けていて両親の遺産相続を出来なかったことで、ここへ投稿しているのではありません。
公務災害にもさせないで母親が私の将来老後の為にと資産を作っていたのを強奪した上に、監禁断食と同じ思いを二人にさせたいのです。
私は、北海道からの残りの犬猫を抱えて己が食べるのも大変なことで、何度も鬱病と自分でも自殺を考えました。
常に見る夢は、機動隊での特殊部隊に居た時の姿で、妹夫婦を惨殺している夢で起き現実でない日々胸撫でて生活しているのです。
皆さん、以前ホームページで公開していた母親の告白の動画をご覧下さい。
水戸市のヤクザ関係者は、最初からすべて実名で書き込み、私の施設へボランティアに来ている多くの人達の自宅や職場まで押し掛け妨害していたのでした。
ヤフーの検索サイトの書き込み欄に「かわくぼ とおる」を打ち込み、漢字の 川 窪 亨 です。
それだけで水戸市のヤクザ関係者が何項目も、ハンドルネームを使い他の人を使いヤラセから作り話を多くの人が観るようにあらゆるネットへ書き込んでおります。
その5項目ぐらいに keigosite の関係項目がありますから、開いて動画で、すべての動画をご覧下さい。
この場にアドレスの書き込みは出来ないと思いますので・・・・・私は、ただ両親と自殺した彼女へ、また多くの保護されていた犬猫達への報復しかない余生になりそうなのです。
既に、私が作った爆発物処理機で訓練指導していて妬みから放射線被曝した時点から人間嫌いになりました。
命を共に張って来た仲間同士でさえ出世や金が絡むと変わり、親子でも殺し合う時代でしょう。
人間としての道義など無い人間に、法治国家って?
今回の被災地を全て発生時点から現役時代の機動隊員へ戻った感覚錯誤で廻って参りました。
何も無くした人間は、逆に恐ろしい何者もありません。
警察官も組織を守る為に隠蔽しているのではなく、何事も自分の署長期間に無いことにして退職金を受け、優雅な年金生活を叙勲まで受けてされたいからなのです。
この警察組織ぐるみの事件を社会の多くの人達に公開し、暴こうとしても先立つ金が無ければ弁護士も誰も手わ貸して戴けません。
世の中すべて金・金・金が無ければ、正義も勝てないのですね。
ここの色々な分野の先生方サイトへ、辿り着きましたが何処でも無一文では相手にしないでしょう。
私は、昨日から何故か扁桃腺甲状腺が腫れて唾も飲み込むのに大変で、更生物質のセフゾン100mgや抗菌薬のレボフロキザシン100mgを何とか服用しました。
呼吸気道が塞がるまでになつても病院へ駆け込むお金もありません。
現在、ガスも止められ水道も数日で停められますが、何とかインターネットや電話だけど寝ないで一日、2000円や3000円の為に働いてます。
弁護士や裁判費用など追いつきませんし、年金も公務員共済から国民年金へと代わりましたのに、私の番号が消されてありませんでした。
その上に、妹が損壊を頼んだ借家の家主が全ての物をゴミ捨て場へと破棄したことで
一括して支払わされた年金記録の証明する手帳が無いから、第三者委員も認めないのです。
当時窓口で、私は社保庁の係官に何時白血病で私は死ぬか判らないので・・・と全額を納めたのでした。
それで消されたのでしょう。
母親が96歳で死んでも死にけれない神様が二人に天罰を与えるまで生きたいと頑張って個室で妹が来る度にを睨み付けているのです。
私は、母親に悲しい思いをさせたくないから理性で生きているのですが、このままなら私の命が母親より先かもしれません。
帯広の姉や義理の兄貴も何時亡くなったか一切親戚関係者も妹夫婦の口車に騙されて冠婚葬祭は、私と母親は何も知らされてません。
長々と誤字や不適切な書き込み、バラバラな内容などになりましたが、まだまだ私が轢き逃げされ掛けたり、明らかに待ち伏せと解る場所で暴力団関係者から絡まれたり、引越し先を探していると保護施設を見つけたと紹介さ騙されたり全て、私の預金の所持金を無くさせる訴えさせない工作でした。
家裁での調停にも一切本人が出頭しないので、話し合いにもなりません。
今でも母親に対して嫌がらせに、深爪を企んだり色々なことをしておりますが、弁護士も解任却下されたし母親から引き離す手段がありません。
弁護士を立てられない者は、素人でも戦えるなど嘘で散々法廷でも馬鹿にされました。
特別老人施設でも全て、妹のところへ連絡しているのです。
何度も事情を話しても、後見人の弁護士さんが入居するときに指示しているので、そのとおりにしているのですとの回答なのです。
親戚関係者の見舞いでも妹が同伴するので、認知症の振りしていないと母親も殺されるから逃げようがなく耐えているのです。
このような状態で家族関係や親戚関係の修復など私には考えられませんが、それが可能か無理でしょうか先生方へお尋ねしたいのです。
このような生活が何年も続き日々の生活で精一杯でして、人間の堪える限度にも限界があると思います。
一連の事案を実話の小説してでも書くかとか色々考えましたが、私の身体が今の状態では持ちません。
ここのサイトも何処も同じかなとか・・・・ご回答戴けるかと、またまた探してヤクザの妨害が不安ですが・・・・・少しでも多くの方へと会員登録致しました。
多くの御覧の皆さんもアドバイスを宜しくお願いします。
| nekooyagi / 60代 | 男性 | 2011年11月21日 10:30 JST |
この投稿も、Lenovo に機種を変えてから飛んで勝手に送信へとなってしまいました。
二重投稿済みません。
管理者の方でなければ直せませんと思いますがご存知の方教えて下さい。
| nekooyagi / 60代 | 男性 | 2011年11月21日 14:04 JST |